「人はなぜ生まれ、いかに生きたらいいのか。」

「人はなぜ生まれ、いかに生きたらいいのか。」

この疑問は問題が大き過ぎます。

7歳ぐらいの時から50年近くこの問題で悩んでいます。

最初にこの問題に悩んだきっかけがあります。

7歳ぐらいの時、大好きな世界チャンピオンの日本人ボクサーがいました。

とても強かったので何回も防衛していました。

そのボクサーが負けるなんて思ったことがありませんでした。

ところがそのボクサーは負けて、チャンピオンではなくなってしまいました。

私は凄いショックを受けました。一人でこっそり泣いていました。

そのボクサーがチャンピオンでなくなったのがショックだったのではありません。

私がショックだったのは変わるのだという事でした。

同じでそのままだと思っていたことが初めて変わった瞬間だったのです。

「そうか、変わるんだ、いつまでも同じではないんだ。」

それに気がついて、泣きたいぐらいのショックを受けたのを覚えています。

その時に初めて人生の「無常」を知ったのかもしれません。

もちろん、その子供のころは「無常」なんて言葉は知りませんでしたが。

そのあと、ある有名プロ野球選手が引退しました。

いつまでも選手をすることができないことにも気がつきました。

なぜか、とても寂しかったです。

しばらくして同居していたおばあちゃんが亡くなりました。

この時もあるショックがありました。

そのショックはおばちゃんが死んだのにお笑い番組がいつものように放映されていることでした。

大好きなおばちゃんが死んでも世の中は何一つ変わらずに進んでいくのにも気がつきました。

変わって欲しくないことがどんどん変わっていきます。その変わり方が子供心にとても怖かったです。

おとなになって平家物語を知りました。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」

この冒頭の一文はおとなになった今でも私の心を大きく揺さぶります。

「泣くな、泣くな、すぐ泣くんだから」

出血が数週間止まらない妻を婦人科の病院に連れていきました。

詳しく、わからないのでと紹介された総合病院に次の日に行くことになりました。

必ず、明日行ってくださいね、と言われたので予約なしで行くことにしました。

予約がないとどれだけ待たされるかわからないとのことで朝の8時に行きました。

待たされて、待たされて結局妻が診察してもらったのは5時半ごろでした。

昨日から、言い知れない不安が私を包んでいました。

朝から診察の時間まで、9時間ぐらい待ちました。

その時はまだ少し、心に余裕がありました。

でも、いざ、診察になるといてもたってもいられない感じになりました。

朝から待たされている9時間より妻が診察されている時間の方が私は長く感じました。

大丈夫なのだろうか。。。

妻が診察室から出てきました。

私を見るなり、ちょっとヤバイっという顔して近づいてきました。

妻が言いました。「ねえ、知りたい?」

「うん、どうだった。」「ごめん、子宮剄がんらしいよ。まず、間違いないだろうって。」

えっ、うそだろう、と思わず言いそうになりました。

すぐ、私も先生に呼ばれて、妻の病気の説明を受けました。

目の前が真っ白になりました。

最後に質問はありますかと先生は聞いてくださいました。

私には大事な質問がありましたが、怖くて質問できませんでした。

「命に別条はないんですよね。」とは聞けませんでした。

帰りの車の中ではやはり沈黙が流れました。

私はちょっと目頭が熱くなっていました。

妻は急に大きな声で言いました。

「ねえ、泣いてんでしょう。泣くな。泣くな。すぐ泣くんだから。」

「何言ってんだ、泣いているわけないだろう。」

また、いつものようににぎやかに憎まれ口をたたき合って家に帰りました。